震災から一年

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あの時の記憶に蓋をして、
生活して来ました。
沢山の方に助けて頂きました。
遠くからの物資を送って頂いた方には
御礼も言えてません、
本当に感謝しかありません。
命を繋げて頂きました。
本当に、ありがとうございました。

あの日は、とても月が綺麗で
とても澄んだ空気の日、
次女が無事に一年生になって、
初めての登校が終わり
歓迎遠足が済んだ金曜日の夜、
親としてホッとして、
子供と早くお風呂に入って、
明日お休みだからって
隣の公園にヨガマットを持って行って
ゆっくり3人で夜の公園で過ごして
いました。

それから、帰ってさぁ寝ようって
3人で二段ベッドに入った瞬間でした…

大きな揺れ…家ごと揺れてる…
経験した事がない…

揺れが収まって、
怖くて泣く下の子を抱き、上の子と裸足のまま
隣の公園に逃げました。
ガタガタ足が震えていました。

兄からの電話、家族の安否確認、
皆んなから引っ切り無し安否確認の電話、
余震が酷い中、
隣の家に住むお婆ちゃんとお爺ちゃん
を暗闇の中、外に出して
自宅隣にある、公園のフェンスに
みんなでしがみついていました。
何度も起こる余震、
しがみついていないと、
立って入られませんでした。

お爺ちゃんお婆ちゃん達を
避難所に連れて行って、

私はお店の被害状況がどうしても知りたくて、
サロンのマンションへ行き、6階まで急いで
駆け上がりました。
ハーブの瓶などもすべて落ちて棚が倒れていて、
そして、また余震。
6階の揺れは、本当に恐怖で、死ぬかと
思いました。
とにかく、ブレーカーを落として、
ガネーシャさんを下ろして、
急いで階段を駆け下りました。

その日は、車中泊。

その二日後、本震。
実家南阿蘇の被害
母たちはあの阿蘇大橋のほんの少し先にいた、
母達がいる場所が安全か安全じゃないのか、
心配で心配で、何度も電話した。

兄と電話をしながら、
明るくなっていく、ヘリからの実家近くの映像に
噛り付いて、実家が大丈夫か確認した。

被害はちょっとの差で全然違った…

本震後…
水、ガス、電気が止まった、
とりあえず家にある物と、買えた食品を少しずつ
食べました、
トイレの水が流せなくなって、
みんなでなるべく一緒にトイレに行き、
お風呂のお水を汲んで流しました。
トイレットペーパーは流せません。

お風呂は、お水が止まると思い、
1回目の地震後、湯船満タンに
貯めておいたお水で、
身体を洗いました。

お水がなくなってきたら、
江津湖公園近くの湧き水を
クリアケースにビニールを張って、
汲みに行きました。

スーパーはしまり、コンビニの商品は
全部なくなっていた。

一人暮らしの友人達は、避難所生活。
すでにどこも体育館は人が入れないほど
の人数でいっぱいでした。
物資が届いたら、分けに行き、
友人の分の使うお水も汲みに行きました。
避難所のトイレも大変な事になっていました。

市内の避難所生活では、最初の頃、
お水は大人二人で紙コップ一杯だったそう。
お婆ちゃん達は、取りに行けず貰えない方も
いたそう。

おにぎりをどなたかが一生懸命作って
持って来てくださった、
市の職員さんの所に届いた時は、
誰が握ったのか、名前が分からず、
食べれない人がいるにもかかわらず、
おにぎりは、決まりで配れなかった。

ご飯が無くて、市の職員さんに詰め寄る
方もいた。

何口かしかない蛇口のお水に
中学校は長蛇の列。
公園の給水車にも、コンビニの袋くらいの
水袋を貰うのに、長い列が出来ていた、
ガソリンスタンドも道にずらっと。
一車線塞ぐほど、

何もかも初めて見る光景だった…

兄に福岡に子供達を避難させるように、
言われ、福岡に向けて出発した、
熊本が大変なのに、ここを出る事が
とても罪悪感にか否まれていた。
とてもじゃない、渋滞で道はほぼ動かなかった。
橋の下を通るとき、余震が来て落ちたら
どうしようと、怖くて仕方なかった。
どうやっても車は進まず、
5時間もかかった道をたった20分で帰った。

南阿蘇へのルートがわかり、母達の元へと
ガソリンとバッテリーと物資を持って行った。
南阿蘇は、さらに大雨で土砂崩れがおき、
更に、沢山の方々が心配し、避難しました。

大変な時を過ごしました。
初めてのあの揺れ、次来る恐怖、
子供達を守ることに必死で、
子供達と離れる事が怖くて、
どうかなりそうでした。

子供達は、平気そうで平気ではなかった…
上の子はとてもしっかりしていて、
前震と本震のどちらも私よりしっかりしていた

でも、イライラが何処からか始まって、
子供達は子供達でバランスを少し崩していた。

お母さん達や小学校の先生の中で同じ事を言う方
がいた。子供達もどこにもやれない普通ではない
イライラがあった。小さい体で頑張っていた。

本当、この一年キツかったし、怖かった。
最近の震度3の地震でも
体に起こる大きな緊張を感じました。
南阿蘇の事を思うと寝れない日がありました。
お店も移転して一年未満、
6階にあって、余震が来るとお客様を
怪我なくどう逃すのか、張り詰めて
トリートメントしていました。

とにかく、今までお客様が無事だった
事にホッとしています。

余震の中様子を見に来てくださったお客様、
地震後直ぐから出張で呼んで頂いたお客様。
開けて欲しいと言っていただけた事。
本当に、嬉しかった。

皆さんに、
支えられている事に沢山気づきました。

地震にあって
大切なものが大切だと気付いた。
ふと上の娘が
ママ、今年はこんな大変な事があったけど、
ママの子に生まれて良かった…

堂々と、ハッキリ言った。
近くに人がいて、私は恥ずかしくなるほど…
でも、嬉しかった。

大変な時に、こんな言葉を貰って、
ママの子に生まれて来てくれてありがとう
って言いました。

地震は、沢山の方が亡くなられ、
沢山の変化があり、
本当に、キツイなぁ、現実なのかなぁ
って思った時もありましたが、

大切なもの、自分の正直な心を
また得ることが出来たように感じています。
みんな、強くなりました。

また、自分らしく普通の生活を
普通に楽しんで前に進めたら
と思います。

沢山の方に感謝致します。

大きな災害では、
一人では生活が困難な方々を一番
守らなければならないと感じました。
目が見えない、耳が聞こえない方や
障害をお持ちの方、そのご家族、
子供、赤ちゃん、妊婦さん、動物、

今後みんなで支えれるような国や地域になればと、
感じました。

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